「初めての腰痛」

高校生の時、側弯症と言われ、初めて腰痛を感じたのは予備校生の時でした。
そのころは予備校の寮に入っていて、なかば強制的に朝から晩まで座りっぱなしでした。机に突っ伏して寝ることも多かったです。腰の痛みに耐えかねていた時、寮長のすすめで整形外科と整骨院に通うことになりました。だけど・・・・痛みはとれなかった。むしろひどくなって、とうとう座っとけないぐらいの痛みになったので、2段ベッドの上の段に勉強道具をおいて、立ったまま勉強したり、寝ながら勉強していました。
当時の医者に言われた言葉を今でも覚えています。「こりゃ60才代の腰だね。」
たしかに私の腰はまるかった。当時はまだ18才・・・

教訓【長時間の座り作業が腰には1番の重労働

「側弯と腰痛をかかえたまま大学に入学」

大学にはいるとすぐ、「フィットネス同好会」というボディビルディングをやるサークルに入りました。医者が「きたえないと治らない」と言っていたからです。そこではしっかりストレッチをし、筋肉の勉強をしながら鍛えに鍛えまくりました。その結果・・・・・
今まで以上に背骨はゆがみました。(当時の背骨の写真が院にかざってあります。)理由は簡単。神経が通っていないところは筋肉がつかず、神経が通っているところにはしっかり筋肉がついたのです。これでさらにに筋肉と背骨のバランスが狂ってしまいました。「素人がまちがえやすい鍛え方をした」ということです。

教訓【背骨がゆがんだまま身体を鍛えるとさらにゆがむ

「アルバイト」

大学に入ってしばらくして「ゴルフ・キャディー」のアルバイトをはじめました。このバイトは日払いでわりもよく、何よりタダでゴルフ三昧でした。ゴルフは楽しくてほとんど毎日ゴルフクラブをふっていたと思います。2年間続け、当然ゴルフもかなり上達しました。しかし・・・・
コレでまたいっきに腰が悪くなりました。
とうとう左足がしびれ始め、病院では「椎間板ヘルニア」との診断。
大学の一コマ90分の授業が座っておけず、授業中に1度外に出て体操してから再び教室に入るという状態でした。その後、長時間座っていること(運転、映画、飲み会など)が全部できなくなりました。

教訓【ゴルフは腰に一番悪いスポーツ

「カイロプラクティックとの出会い」

大学生の間もいろんな施術をで受けました。針・灸・マッサージ・気孔・東洋整体等どれもぱっとしませんでした。何より私の腰痛の原因を説明してくれるところがなかったんです。
自分で腰痛の勉強しなければと思い、県立図書館に行き腰痛関連の本を読みあさりました。そこで初めて「カイロプラクティック」の文字に出会いました。
本に書いてあったその理論に感銘を受けた私は、山口から大阪まで新幹線で施術を受けに行きました。結果・・・・感動した!!技術はもちろん、細かい問診と最後に模型を使ってしっかり説明してくれたことに感動しました。

教訓【施術は問診・視診が8割を占める

「カイロプラクティック専門学校入学」

大学3年の時,、大阪のカイロプラクティック専門学校を受験しました。
治療家になりたいとは思わったわけじゃなく、ただただ自分の腰痛を完治させたかったんです。素人ながら「自分の身体は自分しか治せない」と思っていました。
大学を中退しすぐその学校に入った私は「水を得た魚」のように勉強しました。知りたいことを勉強できるというのは本当に楽しかった。午前中は整形外科で働き、午後は夕方までカイロの専門学校に通い、その後は大阪市民図書館で医学書読みまくったな・・・(なつかしい)
「自分の身体がいつから悪かったのか」とか、「何が腰痛の原因だったのか」とか痛みが消えてからは「予防する事の大事さ」を学びました。

教訓【健康第一、健康が1番大事

「現在」

平成8年6月に「緑カイロプラクティック院」を開設してもうすぐ28年目になりました。
ここ10数年ほどはまったく腰痛がないし、無理しても痛みが出ていません。
なのでいろんなスポーツにチャレンジしているし、好きな映画も映画館で観ています。ちなみにゴルフはやっていません。

幼い頃の写真をみると父そっくりの猫背な写真ばかり。(子供は親の背中を見て育つ)
小学生の頃は下痢が多く腹巻をして学校へ行っていました。腹をかばうためにどうしても猫背になったいたんです。中学になっても下痢が多く、お尻からカメラを入れて検査しました(痛かった)
中学の時はバスケ部でしたが、体育館が古すぎてボールが跳ねないので外でやっていました。
そのせいで皆よく膝を痛め、足を引きずりながらプレーしていたのも背骨がゆがむ原因になったんです。

教訓【幼い頃からゆがみは作られていく。